「三体問題は解がまだない」ということについての違和感
先日雑談で、「三体問題は解がまだない、解けていない」という発言があった。
中国のSF小説の「三体」について話しているときの文脈で、上の発言が出てきたのだが、私はその発言に対し違和感があった。
ただ違和感が何なのか、そのときにはあまり考えなかったが、後々何に対し違和感があったのかわかってきた。それをまとめたい。
そもそも三体問題とは
万有引力で相互に作用している3物体の運動のこと。例えば、地球、太陽、月の三体の運動のこと。
Wikipediaでわかりやすいアニメーションがある↓参考にしたい。
解には2つある。
解には、数値計算で求めた解である「数値解」と厳密に解を求める「解析解(または厳密解)」の2つがある。
数値解は、計算機(パソコンとか)で求めたシミュレーションのこと。上にあるWikipediaのアニメーションのこと。
解析解は、紙の上で手計算で求めた解のこと。理論的・代数的に算出できる解のこと。
解析解は厳密に求められるが導出が難しい場合があり、数値解はシミュレーションによって解を求められるが、計算機資源が有限なため、誤差が含まれてしまう。
解析解が導出できないとき(→そういう場合が多い)には、その場合は数値解に頼るしかないというアプローチが多い。
結論
話を戻すと、三体問題は三体の動きを把握できるアニメーションが計算されているので、数値解はある。
だから三体問題は解が求められていないということでない。厳密に言うと「三体問題は解析解はまだないが、数値解は既にある。」というのが正しいのかもしれません。
コンピューターシミュレーションの素晴らしさを改めて認識できました。(←ただの感想。)